ドナーの家族となって
間 澤 洋 一


多かれ少なかれ、誰にでも、家族がいるものだが、
私にも家族がいる。
その子の名前は、間澤朝子----。
当時24歳。アメリカの大学に留学中。
ぼくは、その娘の父親の洋一。母親は、容子。
2歳ちがいの妹の広子がいて、私達は4人家族であった。
が、1997年6月、朝子が逝って3人となった。
彼女は、オーガンドナーとなった。

1999年1月1日、真冬の雪積る公園で、ただ1人
ベンチに座り、一編の詩を書いた。
3時間余り、雪の公園には誰も来なかった。
ぼくはこの詩を書いて、朝子を知った。
朝子のしてきたことを、全的に理解した。

生命のかけ橋”となって

Asako Mazawa
間澤朝子は
1972年9月4日
日本国に生まれた

父親が名付けた その名は
朝子----Asako
それは希望につながる名前
ものの始まりをつげる名前

ああAsakoよ 君は
1998年5月24日
Framingham State College
卒業を果たした

マサチューセッツ州知事他
学長、教授、学友達に
祝福されながら
友人達に見守られながら
夜の闇が解き放たれ
さわやかな日ざしがさし
朝つゆが草木に映えて
キラリと花々に輝く時

その名のとおり 君よ
Asakoは 希望を
一身にたたえて
すてきなレディに成長した

Bschelor of Artsの
名誉学位を得て
160年の伝統をもつ
FSCを卒業した

君の家族 妹の広子(Hiroko)が
卒業証書を受けとった
母、容子(Yoko)も
父、洋一(Yoichi)もいる
日米の文化のかけ橋となる
その夢を 希望を抱いた
君は 留学生として海を渡り
見事に 夢を実現させた

1997年6月10日
Asakoよ 君は
Westwoodで交通事故に遭い
不幸にも亡くなった

Asakoよ 君は
ドナーとなり 死んでも
他人の役に立ちたいと
自らの臓器を提供した

“人は自分1人で生きているの
ではない”と教えてくれた
Asakoよ 君は
日米の“生命のかけ橋”となった

Asakoよ 君は
私達に たくさんのことを
教えてくれ たくさんのすてきな
人々と出会わせてくれた

Asakoよ 君は
何かの始まりを告げた
人々に希望を与えた
永遠の すてきなレディ

君の家族 友人は
うれしい涙を流し
そして そして-----
悲しみの涙を流していた

----24歳の短い人生だが
いつも光り輝いていた君
いつも他人のことに心を寄せ
いつも優しくすてきな笑顔の君

6人のアメリカ人の健康と
生命の回復に役立った
「Asakoと共に生きている」
というMs.Dorisのような……

君の家族 友人は
悲しみをこらえ
君の“夢”の実現を
心の底から讃えている

今も 君は
私達と共に生きている
アメリカでも生きている
君の大好きな 猫も 小鳥も------





(1999年1月1日)          

今ここで、“生命・きずなの日”が開かれている。
朝子が教えてくれたこと。「人は一人で生きているのではない。
支え合い、助け合って生きている」ということ。そして、何よりも君は、“生命の大切さ”を、教えてくれた。
ドナー、ドナーファミリーとレシピエントは、“車の両輪”のようなもの。
日本では、この決定的な立場の違いを持つ者同士が、
今、手を組んで、一本の道を開けようとしている。
この道を、ずっと見守り続けて欲しい。
君を忘れない! You’re forever

《このページを閉じる》