Thanks Letter


>>いのちの贈り物
>>日本のドナー家族
>>「いのちのきずな」って何でしょう
>>ギフト オブ ライフ作品展
>>Thanks Letter

2006年「生命・きずなの日」記念祭

-Bridge of Life Day-あなたを忘れない!  →2005年 サンクスレターへ



「車の両輪 ?」
ドナーファミリー、沈黙(真)のヒーロー!と言われて久しい。
第1回日移協研修会(平成18年2月)で講師を務められた日本ドナー家族クラブ会長の間澤洋一氏はレシピエントとその対極にいるドナーファミリーは「車の両輪」関係にあると話された。透析と移植は「車の両輪」という言葉使いに違和感はない。しかし、間澤会長発言には耳を疑った。えっ!と思った。僕にとっては衝撃的な言葉だった。
それは、その瞬間ドナーファミリーの社会的に置かれたプアーな立場が頭の中を過ぎったからだ。「車の両輪」発言は本当に意外だった。おそらく臓器移植医療全般を想定した発言ではなく、あくまでも私達レシピエントに対しての狭義の意味で使われたものと勝手に推察しているが、その理由は日本ドナー家族クラブのホームページのメッセージからもうかがえるのではないか。紹介しよう。

ドナー(Donor)って何だろう?臓器提供者。(え、それだけのこと)
今、日本のドナーの家族は、どんな思いでいるでしょうか?
臓器を提供したことで、プライバシーが侵害されたり、心ない言葉に傷ついたり、つらい思いをしている人達がいるのです。アメリカのように、国をあげてドナー及びドナーの家族を暖かく迎え入れるモラルが出来ていません。
残念ながら日本では、ドナーの家族をケアし、サポートし、支える社会的なシステムが確立していないのです。
Donationという最も社会的な崇高な行為に対し、関係者及び社会はどう応え、支え、励ます事が必要だと思われますか?
一緒に考えて下さい。(日本ドナー家族クラブホームページ 一緒に考えよう!他より引用)
「車の両輪」しかし、その輪の大きさは決して同じサイズではない。私たちは私たちの生きる権利を主張するとともに「輪」のサイズを同じ大きさにする努力も併せ持たなければならないと強く思う。「生命・きずなの日」はその先鞭になるような気がしている。
                                     “ You’re forever” noburu yamamoto



「優しい貴方へ」
 時が経つのは早いものですね。
もう12年も私と一緒に新しい人生を歩いてくれた。
 私が移植を受けてから今日までの間、平坦な道のりではありませんでした。
調子が悪くなる度に腎臓のあたりを手の平で包み込むようにおさえて、頑張ってね、
私も頑張るからもう少し私の中にいてね。と心の中で念じ何回か?透析導入の危機を乗り越えてきました。
 これからもずっと貴方への感謝の気持ち変る事なく、ありがとう。
・ドナーファミリーの皆さまと出会う機会があるたびにあたたかい気持ちになります。
 言葉では伝えきれないほどの想いが手から手へと伝わり熱いものがこみあげて来ます。
・ ドナーファミリーの皆さまの優しい心に触れるからなのでしょう。
 私がドナーの方から贈られたものは新しい命とともにあたたかなやさしさです。
 少しでも多くそのやさしさと思いやりを私からも分けてあげる人になりたいですね。
・ 最後になりましたが、ドナーファミリーの皆様が健康にすごされ、そして幸多い日々でありますようにお祈りしております。
                                                O.Y  




「預かった大事な大事な愛の一部・・・・」
                            小田 憲司


「大切にしています」
ドナー様、ありがとうございます。
私は移植手術で健康を取り戻すことができました。
病床から社会復帰し、仕事、スポーツ、旅行と
移植前には考えられなかった楽しい思いをさせていただいおります。
これからもあなたと共に歩んでいきます。
あなたを気にかけながら、歩調をあわせいつまでも。
そして…私は決して忘れないでしょう
あなたの優しい気持ちを。
                            腎臓移植者
 

肝臓移植を受けて6年が経ちました。
頂いた肝臓と一緒に毎日を、自分を大切にして生きています。
                           36歳肝臓移植者


「ドナーの心に寄せて」
人生に目的など無いと思っていたのは16年前のこと。
お金や名誉は端からその目的では無いし。
これから私を待っているのは底なしの沼、透析やがて死、という暗闇の淵にズルズルと引きずり込まれて行くんだという現実感を伴った恐怖。
いくら気を紛らそうとしてもそこから逃れられる術は無い。
 
移植。
それは私だけに神様がくれた特別な贈り物に思えた。
人様の臓器を自分の身体の中に植え直す。
まさかそんな人間離れした荒業があったとは。
わたしは健康を取り戻した。

未来の事はともかく、今の突き上げるような命の躍動が私を狂喜させた。
頭で考えるんじゃなくて身体の芯から込み上げて来る生きる喜び。
生まれて初めて、「生きてて良かった」と思った。

 毎日はしゃいだ生活を送りながら、しかし私は知った。
移植の二面性。
贈る者と贈られた者。
生と死。
喜びの裏に在った悲しみ。

 私は36歳にしてようやく「生きる」ということを真剣に考えた。
考えた、というより自然に私の心に沁みこんで来た想念がある。
この世とあの世。
この世に生きるということはあの世へ行くための修行ではないのだろうか。

魂は死なないと思う。
あの世の先にも彼の世があるのかもしれない。
その長い魂の旅の目指すものは真の心の幸福感。
そのためには絶対に悪想念を抱いてはいけない。(と、誰かが言ってた)
変な言葉だが、良い人を目指す、人のために働く、自我を捨てる。
坊主臭いが、成れないからこそ成れるように努める。
そうして、死ぬ時は自分を誉めて死にたい。
だから死ぬまで修行。

 そのようなことを考える時、いつも頭から離れないのはドナーであった。
私は生体腎移植だがそれは別として、臓器即ち“命の贈り主の命”への畏敬の念。
どうして貴方だったのか。
どうして貴女でなければいけなかったのか。
選ばれた訳じゃない。誰が望んだ訳じゃない。
じゃあ、何故!
お釈迦様でも答えられない人生の不思議さがある。

 生きて来た。
不幸にして命を落とした。
縁あって臓器を他人に移植した。
それだけ?
しかし、文字に書けないものがそこには凝縮されていた。

どんなお経や聖書や偉人の言葉でも著すことのできない真実の教え。
人は人のために生きてこそ人。
人の間。(人間)
人の中。(人中とは心の在る所を表すという)
ドナーは人としての在り方を自らの命で教えてくれた。
ドナーファミリーの涙がすべてを語った。

 私にも一粒の涙をこぼす人間らしさがまだ有った。
そういう心がまだ残っていたことが嬉しい。
ドナーの心は無限の教え。
それは私がこれから生きて行くための道標(みちしるべ)。
でも私は自分がドナーになる必要はないと思う。
(意思表示カードにはすべて提供と記入しているが)
私には私なりにできる事が他にもあると思う。
それをここに書く事は面映い。
しかしその精神はドナーの意志そのものである。(ありたい)

人生に目的が見つかった。

 16年間休み無しに働いてくれていた腎臓にも限界が来て、
今は人工透析という機械に命を任せ、かろうじて生きています(笑)。
しかし“少しだけ修行した”私にはその機械にさえ心が在るような気がします。
チューブに循環する自分の血液を眺めながら、
ドナーに戴いた命が今身体の中を巡っているんだと。
何かしら人様のお役に立ちたい。
それを支えるエネルギーもドナーの心。

心こそ命。
                       ペンネーム:妄想カラス 





「いつも君がいる。」
ふきのとうがでてたよ。土筆もこんだけ採れたよ。春だね。
桜が咲きました。おい凄いな、満開だよ。きれいだね。
朝、鶯が遠くで鳴いています。いいね。
朝霧を胸一杯に吸い込みました。気持ちいいね。
「ありがとう、生きています。」

花を魅せたら、木々の葉が、黄緑から深緑に、
雨が降っています。雨音で目覚めました。
おはよう、今日は雨だよ。
自然に、いつものように君に話かけます。
君は私の中にいます。もう18年、ありがとう。
これからもよろしく。
小さな草が庭一杯になりました。
全てのものを愛しく、思います。
「ありがとう」の言葉を添えて。
                        浩



「ドナーの方とそのご家族の方々へ」
ぼくは、心臓移植をして三年目を迎えました。
今、とても元気に中学校へ通っています。
同級生と一緒に学校に行き、勉強をするのが、なによりも楽しいです。
ある日の夜、お母さんが起きてきて、ぼくの部屋に来ました。
心臓移植手術をした日のことを夢にみて、「生きられて、よかったね」と、何度も言っては泣いていました。
ぼくも、あの時のドナーの方の存在があってこそ、今のぼくがあるのだと改めて思い、胸が熱くなりました。
ぼくは、来月で十五歳になるのでドナーカードに登録しようと思っています。
ドナーの方とそのご家族の方々の勇気ある行動に、ぼくは、感動し多くを学ぶことができました。
世界中のドナーの方とそのご家族の方々に心から感謝のお礼を申し上げます。
ありがとうございました。
                                     村上  大貴



「贈りもの」
贈られたものは、いのちですか。心ですか、愛ですか。
移植者ほど幸せなものはおりません。見ず知らずの方の心のこもった贈りものをいただき、新しい人生を始めることが出来たのです。その贈りものには、贈り主だけでなくそのご家族の気持ちも託されています。これほどの贈りものは、この世に存在しないでしょう。
そう、移植者は、そんな素晴らしい贈りものよって再び甦り、いま生かされているのです。
「生命・きずなの日」記念祭も今年で4回目を迎えます。今日は、「あなたを忘れない」のことばとともにドナーから贈られたいのちと心に感謝し、いま生かされていることに感謝し、ともにいのちの大切さ、きずなについて思いを巡らす日です。
そして私たち移植者は、素晴らしい贈りものによって今生きていることの喜びを心の底から感じつつ、「あなたを忘れない」のことばをドナー、ドナー家族の方々へお伝えしたいと思います。
                                      大久保 通方


グリーンリボンは、ギフト・オブ・ライフ(いのちの贈りもの)によって結ばれたドナーとレシピエントのきずなを表しています。
成長と新しいいのちを意味するグリーンは、移植医療のシンボルカラーです。

 このページのトップへ →トップページへ  

NPO法人 日本移植者協議会/〒530-0054 大阪市北区南森町2-3-20 プロフォートビル507 TEL.06-6360-1180 FAX.06-6360-1126
Copyright (C) 2006 Japan Transplant Recipients Organization  All Rights Reserved.