世界移植者スポーツ大会


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第15回世界移植者スポーツ大会(2005年)

開催日/2005年7月17日(日)から23日(土)
開催場所/カナダ・ロンドン市

2年ごとに開かれている世界移植者スポーツ大会は、今年はカナダのロンドン市において世界51カ国、約1200人の移植者が参加し開催されました。カナダでの開催は、1993年のバンクーバー大会以来12年ぶり2度目となります。
ロンドン市は、カナダの東部にありトロントより南西へ約200kmに位置する人口10万人程度の小さな街です。街の中心部より5kmほど西にある広大な敷地の西部オンタリオ大学が今大会の大会本部と宿舎となり、一部競技もこのキャンパスで行われました。
今回の日本チームは、腎臓・肝臓・肺移植者で選手20名(最年少9歳、最年長60歳・男性12名、女性8名)家族その他16名の総勢36名でした。
カナダということで涼しい気候を予想していましたが、連日35度ちかい猛暑で、それに加え湿度も高い悪条件にも関わらず、日本選手は体調維持に十分気をつけ全く体調を崩すこともありませんでした。参加選手は前回に比べ3分の2と減少しましたが、日ごろの実力を遺憾なく発揮し、子供競技を除き金メダル9個と銀メダル及び銅メダル4個ずつ獲得する大活躍でした。

第15回世界移植者スポーツ大会成績詳細
 
7月15日(金)

<日本チーム全員集合>

東京国際空港と関西国際空港の二つに別れての出発となりました。東京国際空港では、出発に先立ち午後3時から日本選手団の結団式を空港内の会議室において行いました。ノバルティスファーマ株式会社の協賛によるユニフォームを選手が着用し、今大会での健闘を誓い合いました。なお結団式では朝日新聞と東京新聞の取材を受けました。

<結団式>

トロントまでの飛行時間は約13時間、関空からですとバンクーバーからの乗り継ぎで実に15時間かかりました。トロント空港では、ロンドン大会組織委員会(LOC)のボランティアが、出迎えてくださり、関空組の到着を待って宿舎に向かいました。
今回も前回のフランス大会ほどではありませんが運転手は道に迷い1時間ほど余分な時間を費やし宿舎に着いたのは、日付が変る直前でした。まずはやれやれお疲れさまです。

7月16日(土)

参加者の殆どは、ナイアガラ瀑布観光に出かけました。私と随行医の相川厚先生は、午後6時にマネージャーミーティングがあるとの張り紙を見て急遽観光を中止。二人で大学に残りました。しかしその時間になってもLOCは現れず、午後6時からというのは、月曜日からで、その日はなし。ちゃんと張り紙に月曜から金曜日と書いとけと二人で怒っていました。
東邦大学医学部腎センター教授の相川先生は、1997年のシドニー大会からずっと日本チームの随行医としてお手伝いいただいています。前回ナンシー大会では、体調を崩す選手が続出し大忙しでした。今大会は、皆さん元気で相川先生はチョト楽をされたと思います。
今大会は、過去最高の参加費(神戸を上回る!!)にもかかわらず宿泊は大学の寄宿舎で、審判もテニス、卓球、バドミントンはすべてセルフジャッジ。これで世界スポーツ大会なの?運営にも不満は一杯ありましたが、日本選手は、そのような環境にもめげず大活躍でした。

7月17日(日)

<開会式前のイタリアチームとの交流>

開会式は、夕方から市内にあるコンベンションホールで行なわれました。神戸以来2度目の屋内における開会式です。今回も陽気なイタリアチームの次に入場。日本チームも負けじとハイテンションで入場行進。前回のフランス大会から若い人を中心に元気一杯の日本チームです。

<楽しさいっぱいの日本チーム>

<日本チームの入場>

今回は、神戸大会同様最後に50人以上のドナーファミリーの入場がありました。参加者一同起立して万雷の拍手です。前回のフランス大会でこの様なこともなく、大会を通じてドナー、ドナーファミリーに対する敬意が表されることが殆どなく大きな憤りを感じました。カナダのLOCは、少しは分かっているのかなと思いましたが、会場の移植者の目に全く触れない階段下のインフォメーションデスクに1枚のドナーキルトがひっそりとかけられていていたのには驚きました。形式でなく本当に私たち移植者の気持ちを受けともてくれていたのか疑問に思いました。やはり心は形に表れます。

<スタンド下に掲げられていたドナーキルト>
7月18日(月)

<野口さんボウリング3連覇>

ボウリングは、2会場に別れて行われました。3連覇のかかった野口明吉さんは、今回はレーンコンディションが合わないこともあり、なかなか点数が上がりません。しかしそこはベテラン、何とかしのいで金メダルを獲得。神戸以来3連覇を果たしました。今回は、ダブルスに松倉優子さんと組んで出場予定でしたが、混合ダブルスが認められず残念ながら出場しませんでした。(松倉さんはシングルスのみ出場し5位でした)


その他女性陣では郭善芳さんが、シングルスとダブルス(パートナーは、柴原まさ代さん)の二冠に輝きました。そのほか菊池由美子さんと井上真理さんのペアも前回同様に銅メダルを獲得しました。

<ボウリング>

今大会では初めてリアルタイムで当日の模様がネットにより配信されました。それは腎移植者である川瀬良一さんが、スタッフ(蒲田真佐子さんと岡本嘉明さん)と夜遅くまで、作業をして実現しました。
日本からもたくさんの応援メッセージが届けられ、それが宿舎の掲示盤に貼られました。これらのメッセージが参加選手と日本の方々との連帯感を生み、選手にとって大きな激励となりました。川瀬さん、蒲田さん、岡本さんありがとうございました。

7月19日(火)

<5Kmラン参加の日本選手3人組>

午前中は、5キロロードレース。今回は、3名がエントリ−。快晴の中、気温もぐんぐん上がりかなり厳しい条件になりましたが、各国の選手のレベルが高く北海道の石井裕己さんが20分33秒でシニアクラスの6位、肺移植の板垣志郎さんは、同じくシニアクラスで8位となりメダルを逸しました。(チームマネージャーの大久保さんは、27分22秒でベテランクラス6位)

<外国女子選手の力強いサーブ>

<玉熊・戸塚ペア>

同日行われたテニスには、玉熊直志さんと戸塚仁さんが出場しましたが、予選で敗退しました。テニスもレベルが高い。

7月20日(水)

いよいよ水泳が始まりました。前回出場3種目全て新記録で優勝した太田友恵さんは、同3種目での連覇を目指します。最初の種目はシニア100mバタフライ、前大会同様オーストラリアのステファンさんとの一騎打ち、先にステファンさんが飛び出しリード、最後の10mで追い込みほぼ同時にゴール。タッチの差で太田さんの勝利(34秒53)金メダルを授与されました。(翌日結果修正で同タイムとなり両者優勝となりました)
太田さんは、100mフリースタイルでもステファンさんを破って危なげなく金メダルを獲得しました。

水泳の後、急ぎバドミントン会場に直行。この種目は今回の有望種目です。アダルトシングルスでは、倉田雄介さんと丸野進也さんがともに勝ち進み、日本人同士の決勝戦となりました。二人とも日ごろから練習を積んでおり、その素晴らしいプレーに日本選手だけでなく、外国人も応援。倉田さんは小さい身体にも関わらず、大きなジャンピングスマッシュなど見せ場を作りましたが、惜しくも丸野さんに破れ、銀メダル。丸野さんは、さすが国内チャンピオン、今回も倉田さんの挑戦を退け世界チャンピオンとなりました。

<太田さん50mバタフライの力泳>

<太田さん50mバタフライ表彰>

<太田さん100mフリースタイル優勝>

<丸野さん>        <倉田さん>

<丸野・倉田組>

ダブルスでは、この二人がくむ最強ペア。決勝の相手はイギリスペア。第1セットは日本チームが取り第2セットは、イギリスチームと白熱したゲームが続きました。会場の注目は、このゲームに注がれ、それまではセルフジャッジで行われていましたが、この熱気に押され審判長がジャッジしました。二人は、最終セット日本選手団の大声援に後押しされガッツで勝利を引き寄せました。今までの大会これほど感動したことはなく、選手も泣いていましたが私たちも自然に涙があふれてきました。本当に素晴らしいゲームでした。倉田さん、丸野さん感動をありがとう。

加えて女子もスーパーシニアダブルスで柴原まさ代と郭善芳さんのペアが銀メダルを獲得しました。日本チームとしては、今回がバドミントンおける初めてメダル獲得となりました。

7月21日(木)

<肺移植者板垣さんの力泳>

水泳の2日目とその他ゴルフ、ローンボウルス、卓球が行われました。今大会で残念なのは、いままで数々の好成績を上げてきた卓球に参加選手がいなかったことです。いつも卓球にエントリーしていた水谷典子さんも今回卓球には不参加、次回は是非大勢参加してください。そのかわり神戸大会以来ローンボウルス競技が開かれ女性が2人出場し郭善芳さんが、ベテランの部で銀メダルを獲得しました。郭さんは、今大会で金銀各2個のメダルを獲得する大活躍でした。
水泳では、前日に引き続き太田さんが、200m個人メドレーで連覇しました。板垣さんは、50mフリーに出場しましたが(36秒49)で残念ながら12位に終わりましたが、肺移植をされた方があのような激しい運動が出来ることに同じ移植者ながらびっくりしました。これも日ごろのトレーニングがあってこそでしょう。

今回は、アステラス製薬のサポートによる子ども競技が行われました。日本からは残念ながら肝臓移植の遠藤文隆君9歳がただ一人出場。遠藤君は、神戸大会から3大会連続の出場となりました。水泳は、フリースタイル(25秒52)・背泳(28秒27)・平泳ぎ(38秒60)・バタフライ(37秒94)以上25m 5種目に出場し、前回のフランス大会に続き全て金メダルを獲得しました。遠藤君は、いつも元気で、チョットはにかみながらの笑顔がとても素晴らしい。

<肝臓移植者遠藤君9歳バタフライ金メダル>

<遠藤君、水泳出場4種目全てで金メダル>

今大会では150人の子どもを招待する予定だったようですが、カナダ国内の子どもも含めても50人足らず、日本からも何とかもっと多くの子供たちに出場して欲しかったのですが、子どもが出場するとなると親同伴であり健康のことなども気になるのか、なかなか難しいようです。でも残念でした。

7月22日(金)

大会ももう僅か、陸上競技が始まりました。まず200mの予選からスタート。これには戸塚仁さんが出場し予選通過し決勝へ。次は、5kmウォーク、クラスの違う山本登さんと玉熊直志さんが出場。猛暑の中、我らが最年長山本さんも見事完走。ゴールで待ち受ける玉熊さんとがっちりハグ。山本さんは、海外での世界移植者スポーツ大会初参加で、感動、また感動のゴールでした。

<石井さん1500mの力走>

1500mには、石井さんと倉田さんが出場。石井さんにはメダルの期待がかかりましたが、直線僅かに及ばず4位(5分20秒67)。ちょっと慎重にレースをしすぎたかなと本人は反省。でもシニアの中距離は、特にレベルが高く4位は立派な成績です。

7月23日(土)

<玉熊さん
 シニアボールスロー2連覇>

大会も最終日となりました。この日も日本チームは大活躍。まずボールスロー(クリケットボールを使用)で、玉熊さんがフランス大会に続きシニアで2連覇を達成。石井さんも3位に入り念願のメダルを獲得。

今まで名前が出てきませんでしたが、沖縄から一人参加の仲里則夫さん。スーパーシニアクラスに出場し、ボールスローで銀メダルを獲得、走り幅跳びでも4位に入賞しました。仲里さんは、以前は全国移植者スポーツ大会の常連で、その運動の力の高さは、良く知られていました。しかし最近は、余り参加されていなかったため、今回他の選手は、殆どそのことを知りませんでした。どう見ても普通の中年のおっちゃん(仲里さんごめんなさい)が、ひょいと投げると77mを超えています。これはあの移植者スーパーマン玉熊さんに迫り、同じくアスリート石井さんを8mも超える記録です。ゴルフやバドミントンでも、運動能力の高さを見せ、さすがハンドバールの元全日本クラスの選手だけのことはあります。次回大会には、もっと練習して金メダルを目指すと力強く決意表明をされました。期待しています。

<仲里さん>
<田村さんのボールスロー>

女性陣も、田村百代さんがボールスローで銅メダル。田村さんは、常にボールスローではメダルを獲得している常連です。井上真理さんは、前回優勝の走り高跳びで銅メダルを獲得し2大会連続のメダルとなりました。

<遠藤君の50m>

遠藤君は、子ども競技に参加し、50m(9秒6)、ボールスロー(24m26)・走り幅跳(2m35)で全て銀メダルを獲得しました。同じクラスにアメリカの子どもでかなり大きい(20cm以上背が高い)がいて惜しかったですが、がんばりました。

<戸塚さん200mで惜しくも5位>

<100m×四銃士>

<シニア男子100m決勝>

トラックでは、戸塚さんが100m、200mの両種目で惜しくもメダルは逃しましたが決勝に進出しましたし、100m×4リレーも決勝進出し、陸上は、トラックも日本チームの実力が確実に上がっていることを証明しました。

<相川先生から郭さんへ
 ボウリングの金メダルが
        贈られた>

<ボウリングペアの
 井上・菊池組にも
 銅メダルが贈られた>

長い表彰式が終わり、閉会式です。簡単なセレモニーの後、恒例のニューライフサークル。参加者全員がグランドいっぱいに手を繋ぎ広がります。そして中心へ向かって、みんな走ります。「また2年後、元気で」「See you again in Bangkok」あちらこちら、握手、ハグ、ハグ、別れは尽きません。「2年後また元気でこの場に来たい、きっと来るぞ」との思いが心の底から沸いてきます。
今大会では、競技施設が貧弱だったり、費用が高額なのに、宿舎が寄宿舎であったり、世界大会でありながらセルフジャッジであることなどなどで色々な問題点がありました。それでも大会は楽しく、参加者も素晴らしい思い出をいっぱい日本に持ち帰ったことでしょう。参加され得た方々ありがとうございました。お疲れさまでした。

相川先生、日移協事務局、その他お手伝いいただいた方々、ありがとうございました。通訳兼チームマネージャー補佐としてイギリスから手伝いにきてくれた大久保麻美さん、ありがとう。

<ニューライフサークル>

<閉会式>

<ガラディナー参加の日本チーム>

次回のバンコック大会は、2007年8月25日から9月3日に開催されます。陸上競技はナショナルスタジアムで行ない、体育館も国立の立派な施設を使うとのことです。宿泊施設は一流のホテルとなることも決まっています。費用は今のところ700ドルとのことです。航空運賃もタイですと6万か7万円程で行けます。次期大会には、もともと多くの移植者にご参加いただきたいと思います。移植医や看護師の方など医療関係の方々にも是非この大会を見ていただきたいものです。
今からでも遅くありません。すぐに参加費の貯金を始めましょう。

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