世界移植者スポーツ大会


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第16回世界移植者スポーツ大会(2007年)

開催日/2007年8月26日(日)から9月2日(土)
開催場所/タイ・バンコック市

世界43の国と地域、約1000人の移植者が陸上、水泳、テニス、バドミントンなど13競技に参加しました。日本からは、心臓、肝臓、腎臓の移植者14名と家族、医療スタッフ、マスメディア等を合わせ29名が参加しました。移植者の参加は、過去20年間で最少となりましたが、日本選手は、みなさん各競技に頑張り、金メダル9個、銀メダル5個、銅メダル8個、合計22個のメダルを獲得しました。

世界移植者スポーツ大会は、イギリスの移植医モーリス・スラパック博士によって1978年に第1回大会がイギリスのポーツマスで開かれ、第2回目からイギリス以外の国も参加するようになり2年ごとに国を変え開催しています。この大会は臓器を提供してくださった方々に感謝を示すとともに臓器移植への理解を広げることを目的としています。また移植者にとってもこの大会に参加し、スポーツをすることが、自分自身の健康維持増進に加え、外国の移植者たちとの交流を通じ生きる糧になっています。

8月25日(土)

今回は、参加者が少ないので、できる限り一緒に出発しようということで、一部の方には、不便をかけましたが、関西国際空港から出発しました。

出発に先立ち、空港内において第16回世界移植者スポーツ大会の日本選手団結団式を開きました。参加選手は、全員がチームグリーリボンのユニフォームに着替え、大会での健闘を誓い合いました。そして日本選手団は元気に日本を出発し、バンコックに向いました。しかしバンコクの気候と衛生状態からして、成績も大事ですが、一番大事なのは、体調管理ではないかと思っていました。

夕方バンコクに到着、通関に手間取りましたが、迎えのボランティアもちゃんとしていて、第一印象はまずまず、そのままホテルへ。ネットで調べていたので予想通り二つ星半のおせいじにも素晴らしいとは言いがたいですが、まあ泊まることには不満はそれほどありません。(駅から遠いのは×。かなり美味しい日本料理店があるのが○)

このホテルにしては参加費があまりにも高すぎることだけは、多いに不満でしたが。手続きを済ませて、翌日は、早朝からロードレースが行われるため、みな早寝早寝。

8月26日(日)

 5キロミニマラソンのスタート                               3位入賞の若松さん(腎移植者)

着いた翌日、朝5時前起きは、きついです。それでも出場者3名(若松さん、石井さん、私)は、元気に会場へ。家族以外の応援は、ほとんどなし(丸井先生、奈々枝ちゃん朝早くからありがとう)。いよいよ7時スタート。朝早いのであまり暑くはないのですが、湿度が高く、汗びっしょり。3名とも無事完走。若松さんは3位入賞。これが彼女のメダルラッシュの始まりでした。

午後1時参加者一同開会式会場へ向いました。それはホテルから20分くらい行ったタイ・日本スタジアムに隣接する体育館。スタンドで待っていると選手はフロアーへ降りるようにとの指示。入場行進もなし。しばらくすると、すごいスコール。本当にバケツをひっくり返したような豪雨。そして並んで待つこと2時間、もう選手はそこら中で勝手気ままに、バッチや記念品の交換、記念撮影などなど、もう収拾がつかず。いよいよ王女様の入場。あの豪雨で遅れたらしい。タイの人は座ってお出迎え。彼らには、大変光栄なことなのでしょう。これは全て王女様のための開会式。これもタイのお国柄かも知れません。

開会式が終了すると歓迎食事会。勿論タイ料理。これから毎日タイ料理づめの始まり。やっと料理にありつけたのは良いが会場が狭く、座るところもない。まあ日本選手は、体育館の外の椅子に落ち着き食事をとることができました。そこで早めに帰ることにしたのですが、また帰りが大変。外は豪雨、駐車場のバスまでのシャトルはこない。どうすりゃいいの?無理やりシャトルに乗り込んだのは良いが、9人乗りのバンに18人が乗り込む。もうすし詰め状態以上でバスまで。何だか先が思いやられる1日でした。

開会式
8月27日(月)

日本選手の参加は、ボウリングとアーチェリー。アーチェリーは、今大会から初めて加わりました。日本からは唯一若松さんが参加。今大会は、毎日朝1番目のバスが5時45分出発、その後は7時30分までありません。即ち選手は朝5時半には、集合しなくてはならず、選手も辛いですが、チームマネージャーの私や通訳の我が娘麻美も辛い辛い。

他の国の選手と相乗りで、若松さんご夫妻と私だけが朝早くアーチェリー場へ。ところが役員も誰もいない。これは他の競技でも同じで朝早く着いても、ほとんど誰もいない。競技開始は、8時半か9時からなので、何とかしてよ!と選手は、みんな大不満。

ようやく8時前に準備が始まると、的は30mと50m。若松さんは、15m以下でしか競技をしたことがなく、「この弓ではとどかない。やめようかしら」と弱気。旦那様が激励し、やっと練習を始めました。ところが初めは50mに確かにとどかない。しかしだんだん慣れてきて、何とか的に当たるようになり、競技開始、50mは、かなり苦戦をしましたが、何とか頑張って金メダル。30m今度は余裕で、一番中心のXにもあたり、圧勝。二つ目の金メダル。もうこれで終わりかと思うと午後には、マッチゲームもあり、こちらでも金メダル。一気に3つの金メダルを獲得。すごいメダルラッシュ!!

ボウリングでは、心臓移植者の松内さんが大健闘。まずシングルスで銅メダルを取ると、午後のダブルスでも仲里さんと組んで銅メダル。二つのメダルを獲得。今回は、3大会連続金メダルの野口さんが不参加で、金メダルはなりませんでしたが、心臓移植者として日本チームで初めてのメダルを獲得しました。バンザイ、バンザイ!!!

8月28日(火)

雨期とは言え、朝から雨模様。テニス競技は、いつ始まるか分からない状況でした。ようやく雨が上がり、まずお昼前から子ども競技が開始。ここでまた一悶着、遠藤史隆君のエントリーが大会事務局のミスでクラスが違っていました。それを変更しようとすると、他の国の父兄からクレーム、審判の裁定でクラス変更が認められ、コートに移動。準備が整い、さあゲームと言う時、ここでもクレーム。「コートが悪い、こんなはじっこでなく、センターコートでやらせろ」父兄がうるさいことうるさいこと。そしてまたセンターコートに移動。ここで史隆君は2試合を勝って、金メダル。最近は、水泳よりテニスに夢中との言葉通りの腕前でした。大人も負けじと、戸塚さんと玉熊さんが1回戦突破。そして玉熊さんは、準決勝進出。テニス男子では、ここ20年来メダルなし、翌日が楽しみです。

翌日30日に嬉しい知らせがテニス会場からありました。シングルスの玉熊さんが銅メダル、また戸塚さんと組んだダブルスでも銅メダルを獲得しました。戸塚さんは、神戸大会から参加していますが、4大会目で初めてのメダル獲得となり、とても嬉しそうでした。ああうらやましい。私などは1991年から9大会連続参加していますが、メダル0、これも日本では唯一でしょう。この大会は、参加することに意義がある。(負け惜しみですが)

夜になってゴルフへ参加した仲里さんと心臓移植者の市川毅さんが、ホテルに戻って行きました。少し残念そうでしたが、市川さんはハンディキャップの部で銀メダルとのこと。プロを目指している彼にすれば、少し不本意な成績だったようです。でも銀メダルは立派です。みんなで健闘を讚えました。ところがあとで分かったのですが、グロスでは金メダルでした。よかった、よかった。市川毅さんおめでとう!!

8月29日(水)

この日から水泳が始まりました。バドミントンの体育館とは隣り合わせなので、応援も両方で来て、便利でした。

バドミントンには、前回シングルスで銀メダル、ダブルスで金メダルの倉田さんが出場。今回のダブルスは、国内大会でいつも心臓移植医の福嶌先生と組んで優勝している松内さんと組みました。福嶌先生は、当日の早朝バンコクに到着し、松内さんの練習パートナーを務めてくださいました。その他に沖縄のスーパーおじさん仲里さんも出場。

シングルスは、倉田さんが準決勝まで進みましたが、相手は前回、シングルス優勝の丸野さんに準決勝で敗れたイギリスの選手で、強敵です。何度か良いスマッシュも決めましたが、練習不足もあり、残念ながら敗退、銅メダルにとどまりました。

ダブルスもまたまた前回の決勝相手の同じイギリスペアと準決勝で対戦、こちらも残念ながら敗れて銅メダルになりました。しかし随所に素晴らしいプレーを見せてくれ、日本の応援団は大満足。ありがとうございました。

今大会の水泳への参加は、遠藤史隆君と市川奈々枝ちゃんの子どもたち二人だけでした。

この日は、史隆君だけがレースがあり、翌日と合わせて3種目にエントリーし、25m背泳1位、25mフリ−スタイル2位、25m平泳ぎ2位と金メダル1,銀メダル2を獲得しました。

遠藤史?君

8月30日(木)

今大会の水泳への参加は、遠藤史隆君と市川奈々枝ちゃんの子どもたち二人だけでした。

この日は、史隆君だけがレースがあり、翌日と合わせて3種目にエントリーし、25m背泳1位、25mフリ−スタイル2位、25m平泳ぎ2位と金メダル1,銀メダル2を獲得しました。

市川奈々枝ちゃん

8月31日(金)

戸塚さん100mファイナル

この日は、全員が陸上競技です。注目は、ボールスローと100m,200mそして子どもたちです。

やはりと言うか運営はスローペース、焦らず焦らずタイ時間に合わせなくては・・・

今回も、戸塚さんは、100mと200mの両種目で、ファイナルに進出。しかし彼も38歳、シニアーでも最高年齢に近づき、厳しい。やはりもう一歩のところでメダルにとどかず、次回は一クラス上のスーパーシニアーになり期待大です。ボールスローでは、玉熊さんは、ダントツで今回も優勝(3連覇)。しかし驚いたことに一つ上のクラスながら、それに迫る距離を投げた仲里さんが念願の金メダルを獲得。スーパーおじさんはすごい。

子どもたちでは、市川奈々枝ちゃんが念願のおメダル獲得。ボールスローでの銅メダルに続き、走り幅跳びでも銅メダルを獲得。とても嬉しそうな奈々枝ちゃんの笑顔がとても印象的でした。史隆君は、ボールスローも銀メダルで、水泳からライバルのアメリカの子に後れを取っていましたが、最後の陸上50mで、その子を破り金メダルを獲得、こちらも本当に嬉しそうでした。本当にみんな良く頑張っています。

9月1日(土)

<玉熊さん
 シニアボールスロー3連覇>

お昼で競技は終了し、片付けがすんで閉会式。みなセレモニーに関心はなく、あちこちで勝手に写真を撮ったり、歌を唄ったり、充分楽しんで、最後の時を待っていました。いよいよその時、誰とのなく手を繋ぎ、大きな輪(通称ニューライフサークル)を作って行きます。いっぱいに広がったところで国内大会と違い合図もなしに、中心へ向けみんなが走り出します。

握手し、抱きあい、元気でね!2年後に合おうね!と少し涙がにじんできます。文句を言えばいっぱいあります。しかしこの時ばかりはそれを忘れ、楽しかったことだけが頭をよぎります。ありがとう。また2009年8月にゴールドコーストで会いましょう。

追加:当然その日の夜にガラパーティーがありました。またもタイ料理。本当に飽きちゃった。でもダンスも楽しかったよ。少し別れが辛かったけど、また会えるとの希望を抱いて会場をあとにしました。

<市川奈々枝さん>
閉会式
最後は楽しいガラパーティー、2年後の再会を約束します。

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